昔から、どういうわけか人に見えない「物」が私には見えてしまいます。その反面、「霊」という非科学的な物を一切信じない、というスタンスをも私はとっています。しかし、見えてしまう以上、霊という存在を全否定できないのも事実です。よって、霊に対する私の態度は「信じていないが存在するもの」という曖昧なものになっています。 以下に記すお話は、私がここ十年間に体験したり、身近な人から聞いた話です。それ以前にも色々あったのですが、記憶が不明瞭なため記すのを諦めました。 貴HPの何かの参考につながるのであれば、と思い、投稿させていただく次第です。 *目次* 1.霊障?(「前島の花魁」「虹の大橋」) 2.呪い?(「105㎜砲の誤射」) 3.知人の体験談(「幽霊病院」「妖怪ラジオ」) 4.見えた(「前島の子供」「おまえも見えたのか?」「同棲しました」) 1.霊障? (1)「前島の花魁(おいらん)」 以前、私は岡山県牛窓の前島という島に住み込みで働いていたことがあります。前島は本土からフェリーで10分ほどのところにあります。この島は、昔、築城のための石切場があり、そこで働く人足のために遊女もいたと言われています。 ある夏の夜、同僚達と本土に渡って飲み会を開き、島に戻ってきたときのことです。フェリーから降り、寮への道のりを同僚としゃべりながら歩いていると、背後にただならぬ気配を感じました。“あ、何かいるな” ふと後を振り返ると、花魁姿の女性の霊がうつむきながら私達の後ろをついてきていました。出てきてもおかしくない場所柄だけに、特に恐怖も感じませんでしたが、同僚を怖がらせるのもなにかと思い、そのことには触れずに私は同僚と無駄話を続けていました。と同時に、私は足を速めて同僚たちの歩くペースを上げ、その霊との距離をとるべく引き離しにかかると、かなり離れることができました。 しばらく歩き、十字路を左に曲がってさらに振り返ると、なんとその霊は私達と同様に左に曲がって相変わらず後をついてきます。祟られてはかなわないと思って、「ちょっと立ちション」と言いながら同僚達を先に行かせ、私は素人ながら九字を切りました。すると、スーッとその霊の存在が薄くなりました。私はほっとして寮への道のりを急ぎました。 寮に帰ると同僚達は再び酒盛りを始めましたが、私は先ほどの霊のことがなぜか気になり、その場に加わりませんでした。午前零時を過ぎた頃、酒宴もお開きとなり、同僚達は各々の部屋に戻って床につきました。皆が寝入っても私はなかなか寝つけませんでした。なぜなら、まだあの霊の気配をうっすらと感じていたからです。一時間経ち、二時間経ち、私もうとうとっとした頃です。急にあの霊を強く感じました。“やばい!”と思いながら、カーテンのかかった窓のほうを見るともなく見ると、あの花魁姿の女性の霊がスーッと窓ガラスとカーテンを通り抜けて、部屋の中に入ってくるではないですか。私はとっさに自分の気配を消して(説明が難しいのでこの辺の描写はご勘弁を)、身を硬くしていると、その霊は私の布団の上を通り、ふすまを通り抜けて隣の部屋へと入って行きました。 “助かった・・・” と安堵したときです。隣の部屋で寝ている同僚がうなされるような声をあげました。何が起きているのか興味がありましたが、さすがに覗くのをためらい、私は布団にもぐり込み、いつしか寝入ってしまいました。 翌朝、目が覚めた私は、隣の部屋に通じるふすまを開けて部屋に入ると、霊の気配はすでにありませんでした。うなされていた同僚の顔を覗き込むと、額には玉の汗が浮かび、苦しそうな顔をしています。 「おい、大丈夫か?」 そう声をかけると彼は、 「寒気が止まらない。寒い、寒い」 と繰り返すばかり。彼はそれから三日間ほど寝込んでいました。 ただの風邪だと彼は思っていたので、私は例の一件をとうとう彼に話すことなく終わりました。それから半年後、私は職を変え、彼と会うこともなく今にいたっています。彼の風邪(?)の原因が本当に霊障だったのか否か、私にはわかりませんが、タイミング的にも、また、彼の風邪が誰にもうつらなかったことから考えて、可能性は高いのではないかと思っています。(トメ) (2)「虹の大橋」 今からちょうど8年前の大晦日から元旦にかけてのことです。大晦日の晩、友人Kが「自殺の名所で『虹の大橋』ってのがあるんだけどさ、ちょっと行ってみないか?」と言い出しました。このKは、いわゆる霊感というものを持っておらず、それゆえに日ごろから「霊が見たい。霊が見たい。T(私)は見えるからいいよな」などと言っているような人物です。ともかく、その日は大晦日ということもあり、その場にいた友人先輩7人とC先輩の奥さんを加えた8人が車二台に乗って、ドライブがてら「虹の大橋」へ行きました。 ご存知の方にはくどいかもしれませんが、Kの説明だけはなぜか耳に残っています。「あまりに自殺者が多いので橋の脇に高いフェンスを取り付けて、なおかつサイケな色彩で絵が描かれているところから『虹の大橋』という名前がつけられているんだよ。でも、フェンスを取り付けてもやはり自殺する人が絶えないんだって」。 そのサイケに彩られた橋を見、フェンスから下を覗いたとき、私はちょっと寒気がしました。あまり強い気配ではないのですが、感じるんです、怨念というかその場に残っている思念というか、そういうものが。 虹の大橋に着いたときにはすでに日付も変わり、正月ということもあって皆、変にはしゃいでいました。勿論私も同様です。が、なぜかC先輩の奥さんだけは車から降りようとしません。そんなことなど気にせず、残りの7人はポラロイドカメラで写真を撮ったり、大声をあげていました。30分もそこにいたでしょうか、誰が言うともなく帰ろうということになり、皆、それぞれの車に乗りました。車中でS先輩が笑いながら、 「橋で撮った写真なんだけどさ、今は暗くて見えないじゃん。でもさ、家に帰ってから写真を見たときに、何かが写っていたら“ゲーッ”だよね」 などと言い、皆も浮かれ気分の延長で笑っていました。しかし、虹の大橋行きの計画を立てた言い出しっぺのKだけは無反応でした。 家まで送り届けてもらったときには、日が昇りかけていました。自分が写った写真のことなどまるで忘れて、私はとっとと寝てしまいました。 数時間後、目が覚めると何やら寒気がして、立ち上がることすら億劫な状態になっていました。“どうやら風邪をひいたかな。橋の上は寒かったもんな”などと思いながら、熱を計ると38℃を超えています。ふらつく頭で机の上に置いておいた虹の大橋で撮った写真を何気なく手に取って見たとき・・・。 「ゲーッ!」 私の全身像に加えて、なんと私の左足に食らいついている「顔」が写っているではないですか。私はすぐにKのところに電話をしました。 「おいK、本当に“ゲーッ”だったぞ。俺の足に食らいついている霊が写真に写っている!」 ところがKは、やけに沈んだ声でこう答えました。 「やっぱり本当に写っていたんだな。実は、昨日、T(私)の写真を車のライトにあてて見たときに、何かが写っているような気がしたんだけど、怖くて言い出せなかったんだ」 「ばかやろう、そういうことはさっさと言えよ。とにかく、今、俺、熱が出ちゃってどうにも動きがとれないんだ。写っていた、と言うだけでいいから昨日のメンバーに連絡を回しておいてくれ」 そう言い添えて電話を切って、再び布団にもぐり込みました。小一時間もしたころでしょうか、Kから電話がかかってきました。「おいおい、たいへんだよ。昨日のメンバー、俺以外はみんな寝込んじゃってるみたいだ。特にC先輩の奥さんがひどいらしい」 その後、C先輩の奥さんは入院し、その他、K以外のメンバーは全員3日以上寝込みました。私は十日間ほど寝込み、体調が元に戻るのに1ヶ月を要しました。 そうそう、C先輩の奥さんはその後無事退院されました。私は奥さんに、なんであのとき車から降りなかったのか聞きたかったのですが、やめときました。やっぱりこんなふうになったら、聞けませんよね。(トメ) 2.呪い? 「105㎜砲の誤射」 今度はちょっと毛色の変わったお話を。 私は今までに人が見えない「物」を何度も目撃してきましたが、怖く感じたりすることはあまりありません。私が本当に怖いのは、生きた人間なのです。生きた人間の悪意ほど怖いものはありません。 私がまだ大学生だったころ、行きつけの店(特に業種を秘します)で常連客と夜中まで話し込むことがよくありました。その店は入り組んだ住宅地の真中にあり、今考えると近所にはたいへんな迷惑をかけていたことだろうなと反省することしきりです。その店の斜め前の家からは、声がうるさいとか客の自転車が家の前に止めてあるだとかさんざん苦情をいただいたことがあります。しかし、店長はそんな苦情もどこ吹く風で、「あの家は最近越してきたばかりのうえ、何かと文句ばかりたれて近所でも評判がよくないんだ。ま、苦情なんて気にすることはないよ」などと言っていました。確かにその苦情一家(便宜上、こう記します)の評判はあまり良くなく、オヤジはいつも家にいて何をして生計を立てているのかわからないし、奥さんの姿も見ない。一人娘は非常に暗い顔をしていて雰囲気が怖く、まともそうなのはお婆さんだけでした(あくまで私の主観ですけど)。 これはK(「虹の大橋」に出てきたのと同一人物。なお、Kはその店の近所に住んでいます)から聞いた話なのですが、その家の娘は超常現象に興味があるらしく、ゴミ集積場にその手の雑誌や本を捨てに行く姿をよく見かけるとのことです。 前振りが長くて申し訳ありません。本題に入ります。ある日の夜中のこと、非常に寝苦しく午前二時だか三時だかに目が覚めました。無茶苦茶な寒気がして熱を計ると尋常ならざる体温でした。風邪だと思って、こんなときは寝るに限るとばかりに薬を飲んで再び布団に入りました。しかし、どうも変なのです。はたから見ると症状は風邪そのものなのですが、何かが違うのです。どう言えばいいのか迷いますが、体を何かで縛られているようにねばつくと言うか、思うように動かないのです。布団に引っ張られると言うか何と言うか、とにかく布団に入ると手足の動きがやけにいいのです。手足だけなんですけど。 寝苦しさをおしてやっと寝ついたころ、遠くから男性のものと思われる声が聞こえてくるような感覚がしました。「来るぞ、危ない。来るぞ、危ない」その声はそう言いますが、何が来るのか、何が危ないのか、まったくわかりません。それでも「声」はそれだけを言い続けます。段々声は大きくなっていき、それこそ耳元で普通に話をするくらいに聞こえてきて、ふっと「声」がやみました。なんだろうと思う間もなく、次の瞬間、「声」が叫びました。 「よけろ!!!!!」 うわっ!、と私は思わず声をあげて飛び起き、左側に体を寄せて壁に張り付きました。そのとき、私には見えたのです、はるか彼方から巨大な槍状の「何か」が振ってきたのが。その「何か」は屋根をやすやすと突破し、天井を通り、私の右肩を貫通してベッドを突き抜けていきました。そして「ドーーーン!」という何か重たいものが落ちたような音がした後、その槍を追いかけるようにして今度は女性の声で 「おまえらなんか、おまえらなんか、おまえらなんか・・・」 と繰り返し聞こえて遠ざかっていきました。 しばし呆然とし、はっと我に返ると体はガタガタと震え、右手を見ると拳を握り締めていて自分の意思で開くことができません。なんとか動く左手を使って右手を開いてみると手のひらいっぱいに汗が広がっていました。 しばらくすると今度は、再び男性の声が「思念をこらせ。思念をこらせ」と私に命じてきます。言われるままに思念をこらすと、頭の中にイメージがどんどん広がっていき、私の精神は一直線にあの苦情一家の家の前へと導かれました。何をどうしたらいいのかその声に尋ねても、もう何も言ってくれません。しかし、この一家の誰かに私は「呪い」をかけられたのだ、という気がしました。“なんで私が標的に・・・”と思うと、非常に腹が立ちました。この瞬間、私は究極の自己中心人間になっていたのに違いありません。今の言葉で言うなら逆ギレ状態だったのでしょう。私は、精神を自分の体に戻し、かけられた呪いをそっくりそのまま返してやろうと「呪い返しの術(説明は極めて困難であるため、詳しい記述を避けます。自分でここまでを読み返してみても、常識離れしていることは重々承知。その上で記し続けさせていただきます。いましばらくお付き合いください)」を、あの暗い顔をした一人娘にかけました。私は、ただただ復讐に燃えていたのでしょう、このときは結果なんてどうでもよかったのです。もしあのとき、あの「声」が私に警告を発してくれていなかったら、槍状の「何か」は私の心臓を直撃していたかもしれません。そうなったら、右手に汗を浮かべるくらいでは済まなかったはずです。 その晩からしばらく体から「毒気」が抜けず、非常に難儀しました。そんなことがあった日から半月も経ったでしょうか、私が例の店に顔を出すと、ちょうど友人Kも来ていて、こんな話をしてくれました。 「ちょうど半月くらい前かな、おまえ(私)が来なくなった日ぐらいに、あの苦情一家の婆さんが死んじゃってさ、葬式が出てたよ。唯一、あの家でまともな人間だったのにな」 そうです、私の呪い返しは、私に呪いをかけたであろう一人娘に当たらずに、人の良いお婆さんに間違って命中してしまったようなのです。私の体験、呪いを返したという話をKにすると、彼は笑いながらこう言いました。 「なんだよ、それじゃ『アドバンスド大戦略』(セガ・メガドライブ用の軍事シミュレーションゲームソフト。当時、私達の間で流行していました)で105㎜砲が誤射して味方の上に砲弾が落ちたようなもんじゃないか。よくあることだよ。ま、気にすんな」 何がよくあることだかわかりませんが、彼の言葉で私は救われたような気がします。なんとか自分を納得させることができました。“よくあること。よくあること”とつぶやきながら。 ところが、今、ここまで記していてふと思い、愕然としたのですが、私に呪いをかけたのは、本当にあの暗い顔をした一人娘だったのでしょうか? ひょっとしたら、超常現象に興味があってその手の本を読んでいたのは、あの人の良さそうなお婆さんだったのかもしれません。だって、誰もあの一人娘が件の本を読んでいる姿を確認したわけではないのですから。そうだとすると、私の呪い返しは誤射ではなく、しっかり標的に当ったということになりますね。 追記: 例の私に警告を発してくれた「声」なのですが、未だに私との付き合いが切れていません。人生の要所要所で私に道筋を示してくれています。家内との結婚に迷っていたときにも聞こえましたし、家内が妊娠したときに家内よりも先にそのことを知ることができました。生まれてくる子供の性別も教えてくれました。さらに言うと、私の娘の名付け親はあの「声」なのです。あの「声」の主がいったい誰なのかは、まるで見当がつきませんけど。 私は「危ない人」なのでしょうか? その判断はお読みになる方にお任せいたします。(トメ) 3.知人の体験談 (1)「幽霊病院」 この話を記していいものなのか判断に迷いましたが(当事者に許可を得ていません。というか、当事者、及び関係者と連絡をとるすべがすでにないので)、危機管理の点からもある意味重要な示唆が含まれていると思い、投稿させていただきます。 先に記した2.「105㎜砲の誤射」に出てきた店の常連客の方から聞いた話です。その常連客の方、Oさんとおっしゃる方なのですが、彼がある日、非常に暗い表情で店に現れました。なんでも、一週間ほど前に弟さんを事故で亡くされたそうで、以下のような話を店長にしていました。 弟さんを亡くす何週間か前、相模原だかどこかの幽霊病院と呼ばれる廃虚にOさんとOさんの弟、他に友人二人の4人で出かけたそうです。そこはかなり有名な心霊スポットで、よく雑誌などにもそこでの体験談が載っていたのを記憶しています。 さて、彼ら4人が病院に着いて、内部を探検し、そろそろ帰ろうということになったときのことです。Oさんの友人の一人が、地下室に降りて行くOさんの弟の姿を見ました。その地下室は探検の最中、唯一行くのを憚るような場所だったそうで、そんなところへ一人で降りて行くのを不審に思ったその友人は声をかけました。しかし、弟さんは振り返りもせず、ずんずんと階段を下っていきます。どうにもおかしいと思ったその友人は、Oさんのところに報告へと急ぎました。Oさんを捕まえて見たことを伝えると、Oさんは目を丸くして、こう答えました。 「おいおい、悪い冗談はよしてくれよ。弟ならもう車に戻っているはずだ。なんせ、ずーっと俺の前を歩いていたんだから」 車に戻ると、弟さんはすでに乗り込んでいました。地下室に降りたのかどうかを尋ねても首を振るばかり。 「な、言ったとおりだろ? こんなところでおどかしっこは無しにしようぜ」 その場はみんなで笑って納めるしかなかったそうです。しかし、その後のことは、先に記したとおりです。Oさんはこんなふうにおっしゃっていました。 「弟、向うの世界に連れていかれちゃったのかな・・・」(トメ) (2)「妖怪ラジオ」 この話はちょっとデンジャラスな臭いがするので、文中、あまり詳しく書くことができないことを、先にお詫びいたします。 10年以上前だったかもしれませんが、関東の某ラジオ局の深夜放送の中で、恐怖体験コーナーがありました。このコーナーが夏季限定だったのかレギュラープログラムだったのかは、詳しく覚えておりません。ご多分に漏れず、この手の話が大好きな私は、そのコーナーを毎週テープに録音しながら楽しみに聞いていました。 ある日、ちょっと変わった投稿が採用されて、オンエアーされました。簡単に投稿の内容を記すと、その投稿者の友人が自分の死ぬ夢を見て、それを投稿者に話したところ、その友人は見た夢のとおりに死んでしまった、というような話でした。ところが、友人が死んでその次の日から、投稿者もまったく同じような夢を連続で見るようになったそうで、これはその夢の内容を他人に話たらその通りに死ぬということでしょうかと、投稿者は質問していました。その投稿は以下のように締めくくられていました。 「もし、私の身に何かが起こるようなことがあれば、家族から局のほうへ連絡いたします」 と。番組のパーソナリティーはそのとき結構ビビッていたみたいで、アシスタントとともに「そんなことないから」「強い意志をもって生きようよ」みたいなことを言って取り繕っていました。私自身も“なんかガセ臭いな。仕込みかな?”などと思いました。だってそうでしょう。この投稿が本当なら、万単位で死者が出る可能性があります。いくらなんでもそんなデンジャラスな投稿をラジオ番組で紹介するわけがないじゃないですか。 数日後、私の仲間内でこういう怪奇話が好きな人間、私と悪友A、Aの友人の三人(私とAは少なからず霊感を持っています。Aの友人については不明)が集まって、このときの番組の話をしました。マイナーな局の深夜放送にもかかわらず、三人ともあの放送を聴いていたのが、今考えると不思議です。 「あれってウソ臭えよな」 「そうそう。ホントだったらやば過ぎじゃん」 「局の人間はみんな夢見るぞ」 ウソだと思っていても、さすがに夢の内容に触れて話すことはできませんでした。白状します、私はビビッてました。 「ま、次回の放送で真偽が明らかになるだろうさ。あの投稿者がもしも死んでいたら、ひと言ぐらい触れるだろうて」 そんな話をして解散しました。次回の放送を楽しみにしながら。 それから数日後の放送日(いや、その翌週の放送日だったかもしれません。記憶がぼやけています)、その番組を聴いてみました。ところが、どういうわけか、待てど暮らせど、件の恐怖体験コーナーが始まりません。番組終了まで聴いてもコーナー自体に触れることすらなかったのです。“なんか変だ。こういうコーナーはわりと人気があって、予告もなしに無くなることはないはずだし・・・。番組上の都合でお休みか”。と私は思いました。しかし、翌週の放送でも、その翌週の放送でもそのコーナーが始まることはありませんでした。なし崩し的にコーナー自体が存在しなくなったようなのです。 それから一ヶ月もしてからでしょうか、Aと会って話す機会を得ました。開口一番の彼の言葉は驚くべきものでした。 「実はさ、あいつ(Aの友人)、死んじゃったんだ。あの放送にあった夢のとおりに・・・。番組で紹介されたのと同じ夢を見たみたいで、死ぬ前に俺に『同じ夢を見ちゃったよ』なんて笑いながら話してた。俺は、あの放送もあいつの話もてっきり冗談だと思ったのにな」 このときの私の心境はご理解いただけるかと思います。私とA(彼も当該放送をテープに録音していた)は録音していたテープの処置をどうするか話し合いました。持っていると怖いし、かといって捨てるにも憚りがあります。結局、封印してどこかに仕舞い込んでおこう、ということになりました。 実は、私、そのテープを封印しなかったんです。怖い気分に浸りたいとき、何回か聞いたことがあります。結局、例の「夢」を見ることなく、今に至っています。でも、ひょっとしたら、「夢」を見ているのだけど、単に自分が覚えていない、という可能性もあることから、今までにこの話をすることはあっても、「夢」の内容に触れたことは一度もありません。そのおかげか、こうして投稿もしているわけで元気に生きております。 そうそう、例の放送を録音したテープなんですけど、今でも実家に置いてあるテープ箱の中で眠っているはずです。一度、そのテープをラジカセにセットしたまま寝たら、勝手にラジカセが動き出して録音を始め、えらくビビリました。すぐに電源を落としましたけど。それ以後はさすがに聴くこともなくなりました。(トメ) 4.見えた 二つほど知人から聞いた話をしましたので、今度は私が見たものなどを。 (1)「前島の子供」 この話はただ単に「見えた」というだけの話なので、読み飛ばしていただいても結構です。 現場は1.(1)で記しました、岡山県牛窓の前島です。 私は前島にある某施設の食堂で働いていたのですが、ここではやたらと見えました。あっちをみれば時代がかった格好をした霊、こっちを見れば以前この施設にボランティアで植木の手入れをしに来てその最中に心臓発作で亡くなった方の霊、海のほうを見れば水死された方と思しき霊、等々。その中でも一番怖かったものを記します。 私の主な仕事は、ありていに言えば飯炊きでした。施設で何かしら行事があると、朝食用の米を夜洗って冷蔵庫にしまって翌朝食に備える、ということが多々ありました。ある日の晩、私は米を洗うのを忘れて、夜中に寮から食堂に走りました。時間はすでに午前1時過ぎです。米を機械で洗い(50人分とか60人分の米を手で洗うと時間ばっかり経つので洗米機を使います)、ざるに上げて水切りをしていました。14~15分の時間を要するので、その間、私は控え室、というか食堂スタッフの休憩室でテレビをぼんやり眺めながらタバコを吸っていました。 時間が来て控え室から洗った米のところへ行こうとし、ふっと窓のほうへ目をやると、窓の外に立っていたのです、子供が。足首から上、ほとんど全身が見えました。半袖のシャツに半ズボンの子供。“なんでこんな時間に、こんなところに?”などと思いましたが、その窓はわりと高い位置にあって、子供の背丈なら顔だけが見えることがあっても全身が見えることなどないはずです。 台の上に登れば全身が見えることもあるでしょうが、窓の外には台にするものなどないのです。子供と私は見詰め合うような格好になりました。いや、否、見詰め合うことなどできません。なにしろその子供の顔には目も鼻も口もなかったのですから。 いきなりの出現に私は背筋が凍りました。足がすくんで動けません。どれくらいの時間が経ったのかわかりませんが、しばらくするとかき消すようにその子供の姿は見えなくなりました。ほっとした私は洗って水切りした米を食堂の外にある冷蔵庫へ入れるべく、米のところに行こうとしました。が、行けません。なんと今度は冷蔵庫に通じるガラス戸から、例の子供がこっちを覗いているのです。またしても私は動けなくなってしまいました。 ご存知かどうかわかりませんが、子供の霊というのは理屈が通じないだけに非常に質が悪いのです。こんなのに取り憑かれた日には目もあてられません。私はすぐに自分の気配を消そうと努力しました(このへんの描写はご勘弁を)。しばらくすると、子供の霊は食堂の周囲を、ぐるぐると円を描くように回りだしました。私は霊の気配が遠のいたとき、食堂の表口から逃げ出し、寮へ駆け込みました。 「あれ、Tさん(私)、何時間も食堂で何やってたの?」 同僚にそう声をかけられましたが、霊を見た、なんて話をして怖がらせてもいけないし、ホラだと思われるのもシャクなので、 「ああ、ちょっと控え室で寝ちゃったよ」 と、適当に答えておきました。 これで話は終わりなんですけど、翌朝、食堂のチーフから 「T(私)、このばかやろう! なんで米を冷蔵庫にしまっておかねえんだ!? しかも表のドアのカギを閉め忘れてるじゃねえか!!」 と、えらい勢いで叱られました。言い訳するわけにもいかないのが苦しいところ。私にとっては子供の霊よりもチーフの激怒のほうが怖かったです。(トメ) (2)「おまえも見えたのか?」 ある日の夜中、私と悪友A(3.(2)「妖怪ラジオ」で出てきたAと同一人物です)は、方南通り沿いの公園(東京都中野区。公園の名前は覚えていません)のベンチに座ってしゃべっていました。正確にはAが座っていて、私は立っていました。30分くらい経ってからでしょうか、公園の奥にある木々のほうへ何気なく私が目をやると、白い服を着た男性らしき霊が立っていました。“ふーん、こんなところにもいるもんなんだな”などと私は思ってあまり気にせず、霊に背中を向けてAとしゃべり続けていました。位置的にその霊は私の背後、つまり6時の方向、Aにとっては真っ正面の12時の方向、40メートルくらい離れた場所にいたのです。 私がその霊に気づいてから10分も経ったころでしょうか、霊が動き出すのを感じました。“どこに行くのかな?”などと呑気に考えていたときです。スーっと私の右側、1メートルも離れていないところに現れたのです。次の瞬間、私とAとの会話が途切れました。 「なぁ、A、俺さ、喉が渇いたんだけど、ちょっと河岸(かし)を変えないか」 「そうだな。道路の向うのコンビニでジュースでも買うか」 二人は道路を渡ってコンビニに向かいました。公園のほうを振り返ると、まだあの霊がベンチの傍に立っています。私たちを見ているようでした。ここまでくれば大丈夫そうだと思って、私はAにさっきの霊の話を切り出しました。 「あのさ」 「あのさ」 Aも私と同時に声を出し、「あのさ」がハモりました。結局私から話すことになり、先ほどのことを打ち明けました。するとAは、私の話を否定しようともせずに、こんなことを言い出しました。 「なんだ、おまえ(私)も見えていたのか。ホント、おまえのすぐ横にいきなり現れたときにはビックリしたぜ。あの公園さ、出るんだよ、たくさん。方南通りのこの近辺って、見通しが悪いせいか、やたらと事故が起きるんだよね。あの霊も、事故で死んだ人なんじゃないかな。 でもね、あの霊なら大丈夫だよ。よく見かける霊だけど、道路を渡ってこっち側には来ることができないみたいだから」 私がさっき見た「物」、いや、今まで私が見てきた「物」は幻覚ではなかったんだな、と思った瞬間でした。(トメ) (3)「同棲しました」 以下の話は、1.(2)「虹の大橋」の後日談です。 あの事件の当時、私の勤め先は徳島県にあり、正月だけ東京の実家に帰ってきていました。その正月に寝込んでしまい、38℃の熱を抱えたまま一月四日に新幹線に乗って岡山へ行き、そこから特急に乗って徳島へと移動したわけです。 寮の自分の部屋に戻ってそのまま布団にもぐり込み、十日過ぎまで寝込んでいました。 話は前後しますが、寮の私の部屋には非常に存在の薄い霊が住みついていました。何をするわけでもなく、部屋の隅のほうにポツンと座っているだけなので、特に気にせずに放ってありました。これが何者だったのかは、今となってはわかりません。 さて、私の熱が治まって出勤できるようになったとき、部屋に憑いていた件の霊の気配を感じられなくなりました。私は“ああ、とうとうどこかに行っちゃったんだな”くらいに思っていました。すでに部屋の一部と化していた霊がいなくなり、少しばかり残念に感じたことを覚えています。 それからしばらく経った夜のことです。私が寝ていると、何かの気配を感じました。“あれ? いなくなったと思ったらまだいたんだ”などと思っっていると、頭の中で誰かがささやいてきました。 「私、私、○○(はっきりと苗字と名前を聞き取ることができました。あきらかに女性の名前でした。特に名を秘します)よ。あそこ(虹の大橋)で会ったでしょ」 “はいはい、そうですか。そうかもしれませんね。”などと、ぼけた頭でぞんざいにその声に答えていた次の瞬間です。いきなり誰かが私の左手をキュッと軽く握ったのです。 「うわっ、なんじゃこりゃ!」 そう叫んで私は飛び起きました。辺りを見まわしても誰もいません。残ったのは手を握られたという感触のみ。なんでかは知りませんが、このとき私は非常に腹が立っていて、心の中で彼女を罵りました。 「なんでいきなり出てくるんだ。あっ、おまえのせいであの微弱な霊が部屋から出ていったんだな? そうなんだな? 勝手なことをしやがって、おまえがあの霊のかわりに部屋の隅に座ってろ!」 と。真偽の程はわかりませんが、虹の大橋に行ったときにテイクアウトしてしまったようなのです。しかも女性の霊を。 それ以後、その女性の霊は私に触れたことは一度もありません。頭の中で彼女の声が聞こえたこともありません。でも、彼女は私の言葉どおり、本当に部屋の隅に居着いてしまったのです。前の霊がいた位置にポツンと、ずーっと座っていました。それから数ヶ月間、奇妙な同棲生活が続き(と言っても、その霊は座っているだけなんですけど)、ある日突然いなくなりました。 その後、私は結婚し、職を変え、千葉県に住所を移しました。あの女性の霊がどうなったのかはわかりません。ひょっとすると、今でも徳島のあの部屋にいたりして・・・。(トメ) 後記: いかがでしたでしょうか。私の数少ない体験(聞いた話もありますけど)からいくつかを記しました。参考になりましたら幸いです。 南斗のレイ「やばい話がいろいろ・・・ちょっと眠れなくなりますね(ーー;)」 |